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幼少期の記憶

母親の苦難と絶望の淵に…

おいらは新潟県で生まれました。母親からは未熟児で仮死状態で生まれたそうで、母親はおいらが産声をきっと上げると信じてその時を待ち続け必死に産婦人科医はおいらのお尻を何度も強く引っ叩いたそうです。そのおかげで何とかオギャー!と赤ちゃんらしい産声を上げたと聞いています。今から36年前になりますから今より医療技術は未熟であったことがなんとなくですが推測されます。何とかこの世に産まれてこれたおいらの身体はまだまだ未熟なのもあり直ぐさま保育器へ運ばれたそうです。そして母が退院するときになんとあろうことか自分の赤ちゃんではない赤ちゃんを連れてこられたそうで、そこは母親なのかこの子は私の子供じゃないんですっ!きっと間違いだと思います!と看護師さんに強く言ったと聞いています。ともあれ無事に我が子を抱きしめる事に至った母は病院を退院しました。

ハンガーが眼に突き刺さる事件

これもまだ2歳位の頃だっと聞いています。両親が結婚したばかりの頃は借家を借りていたそうで、間取りも狭く収納スペースも多くはないこじんまりとした借家だったそうですが、そこでおいらは部屋に畳んで積まれた布団の上にまでハイハイしてよじ登りある洗濯物を遊び心と好奇心から引っ張るという遊びを覚えてしまい、そのハンガーに干された衣服を楽しげに引っ張っていたら、ハンガーの壁に掛けてあった部分が外れハンガーごとおいらに急降下…きっと何か上にあるという認識であかちゃんであったおいらは本能的に上を向いたんだと思います。その時です!ハンガーの引っ掛ける先端部分がおいらの眼に突き刺さりました!両親は慌てて救急車を呼んで県立多治見病院というところに救急搬送されて緊急オペが行われ即座に入院となったそうです。それからも浴室内で滑って転んだり5メートルも歩行しないうちに転んでしまったりと身体的な発育面においてもかなりの問題を抱えていたそうです。

保育園での思い出

もう現在ではあの頃と同じような自然が広がる風景はどこにも見当たらず住宅地の中に溶け込むような形で今も佇んでいます。何だかカラフルな帽子を被って鬼ごっこやかくれんぼ、追いかけっこなどをしてたなぁ…というここら辺の記憶ならば今でもうっすらとは残っています。この保育園には1年いたんだろうか…ほどなくして両親は多治見市から可児市という街へ移住を決めたようで父からしたら念願のマイホーム購入ということで住所地が変わるという事に伴い保育園は退園という形で引っ越して可児市に参りました。可児市に来てからは母も正社員からパートになり母は子供を面倒見るという役目を負っていたのだと思います。この時おいらは可児市と多治見市との間位にある姫幼稚園というところに通園し始めました。

幼稚園での思い出

幼稚園は保育園とは教育方針が違うのもあり、たくさんのお勉強のようなことをしていた記憶があります。今でも忘れられないエピソードと言えばトイレに入ってるときに野良犬がトイレに進入してきたことです。辺りは園内放送で野良犬さんがきてるので危ないから外に出ないでくださいよー!っと幼稚園の先生がマイク越しに園児達に注意を呼びかけるもどうやらおいらだけは外に出てきてしまっていたらしい。でも先生達は知る訳もなくおいらはトイレの中で野良犬と一進一退の攻防を子供ながらにしていた記憶なら今でもはっきり覚えてるものです!